年末までワイドショーが相撲の話題ばっかりやっていて、
興味が持てなかった。週刊誌の記事も読んでない。
ただ、貴乃花が相撲は「国体」と言っていたという話を
ちらっと聞いた。
そこでわしは貴乃花が正しいんだろうなと思うように
なった。
「国体」という言葉を使ったら、サヨク方面から
戦前回帰だと非難される。
だが、国家のアイデンティティーや国家独自の特徴は
間違いなくあるだろう。
日本と韓国と中国とロシアとアメリカでは、やはり国家
の特徴が全然違う。
人に個性があるように、国にも独自の個性や国柄があり、
これを失くしたら日本国の独自性が失われてしまうと
いうものはある。
それを「国体」と言うのであり、日本では「天皇」が
それに当たり、一神教ではなく、「多神教」であることも、
日本の文化を育てる価値観であったはずだ。
相撲はもともと「神事」であり、神々に奉納するもので
あり、しかも「相撲道」というように「道」が付いている。
道を究めねばならぬという日本人の美学が相撲にはある
のであり、昔から相撲取りがペラペラしゃべるものでは
なかったし、横綱は受ける相撲をしてみせねばならなか
ったし、スポーツではないのだからガッツポーズなんて
ものはしなかった。
負けた者に手を差し伸べるのが相撲道だったし、
ましてや自分が優勝して、自ら観客に「バンザイ」を強いる
ような厚かましい態度は絶対にとらなかった。
相撲の美学をことごとく崩壊させる白鵬に対して、相撲協会
が弱腰であることに、貴乃花は耐えられない気持ちなのでは
ないか?
これほど相撲の美学や「道」を破壊されるのなら、やはり
モンゴル人を勧誘しなければよかったのだ。
モンゴル会なんか作って、モンゴル人同士で集まっていれば、
星の譲り合いをしかねないと貴乃花は思ったかもしれないし、
それは正当な心配だろう。
相撲が「国技」である以上、「伝統」は因習にならぬように
残さねばならないし、排外的な部分もあってしかるべきだろう。
ナショナリズムとグローバリズムの相克のようなもので、
相撲を「国体」として守る気概がなければ、そのうち
チョンマゲもマワシも世界標準として廃止するべきだと
なりかねない。
貴乃花は「国技」であり、「神事」であり、「道」であり、
「国体」としての相撲を守ろうとしているのだが、
相撲協会や一般国民はそれが分かってないのかもしれない。
貴乃花は利権に挑んで、伝統を守ろうとしているだけでは
ないかと、わしは思っている。